厄除けの神様
当神社には、普段は表に出すことのない特別な須佐之男命の面(おもて)が神殿に祀られています。日本有数の匠によって制作された貴重なもので、年に2回春と秋のお彼岸の日にだけ一般公開しております。古くから病除けの神様として祀られています。
この他にもたくさんの面が祀られています。
薬莢の花瓶
神殿内部にある花瓶は、日露戦争にて連合艦隊旗艦を務めた「戦艦三笠」の大砲の薬莢でできています。日露戦争開戦の時に実行された「旅順港封鎖作戦」の成功を祈り奉納されたものです。
薬莢の花瓶
明治37年・38年の日露戦争開戦の時、旅順港に停泊していたロシアの軍艦を日本海に出られなくするという作戦。老朽化した艦を旅順港の入り口に沈め、そのマストを障害物としてロシア艦を日本海に出られなくした。
この作戦に高千穂町河内の林豊一氏が決死隊として広瀬中佐の部下として同じ艦に乗船することになった。出撃前には家族や友人との別れのため一時帰郷を許された。その時、故郷の氏神(熊野鳴瀧神社)に東郷平八郎元帥が乗っていた戦艦三笠の艦砲の薬莢をいただいて、花瓶として榊を供えて出征した。作戦にて林氏は広瀬中佐と共に自爆し沈没した。
この時、広瀬中佐は戦死したが、林氏は生還することができた。以来、現在もこの薬莢は花瓶として榊をさして使用している。
武運長久を祈り生還した林氏にあやかって、今、小・中・高校の部活動の選手が勝利を祈ってお参りをしている。
薬莢花瓶には奉納の記録が刻まれています。
砲弾
当時の陸軍大臣、寺内正毅氏により日露戦争の戦利兵器が奉納されました。二百三高地にてロシア軍が日本軍に対して撃ち込んだ大砲の弾と小さなスコップが奉納され、戦利兵器奉納の記が残されました。これには下記の様に記されています。
戦利兵器奉納ノ記
是レ明治三十七・八年役戦利品ノ一(ヒトツ)ニシテ我ガ勇武ナル軍人ノ熱血ヲソソギ大捷ヲ得タル記念物ナリ茲ニ謹テ之ヲ献シ以テ報賽ノ微衷ヲ表シ尚皇運ノ隆昌ト國勢ノ発揚トヲ祈ル
明治四十年三月
陸軍大臣 寺内正毅
奉納ノ記の原本や砲弾も公開しています。
熊塚
牛馬の神様も祀られている当神社には、境内に繋がる参道の脇に少し入って行くと、小さな熊塚があります。石で囲まれた塚の中には、やはり石を彫って作られたご祭神様が祀られています。少し離れた場所であることもあり、この熊塚は神社役員の間でも知られていませんでした。数年前に、ある大学教授が訪ねて来られました。犬塚やノミ塚といった全国の様々な塚を研究されている教授で、熊野鳴瀧神社には熊塚があると古い文献に記されているということでした。参道から少し脇に入った山中にあるというのです。半信半疑で探索を行ったところ、本当に熊塚が発見されました。文献によると、当神社上宮付近にて一頭の熊が村人に狩猟されました。熊はお腹に子どもがいる様子で、村人に矢を向けられた際にお腹をかばい「助けて」と懇願したといいます。その熊を狩猟した村人の間には次々と不幸が訪れました。怖くなった村人達は神社に熊塚を造り、祀ったのがこの熊塚だということです。
熊塚は参道から脇の山部へ入った場所にあります。
御幣制作体験
当神社では、事前にご予約いただいた場合に限り御幣制作を体験していただくことができます。御幣とは、神道の祭祀で使われる幣帛(みてぐら)の一種です。神前に据えて神鏡に見立てたり、お祓いに使用したりします。
御幣制作体験の流れ
- お申し込み
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お申し込みにつきましては、メールにて事前にお申し込みください。
メールでのお申し込みはこちら
- 制作体験の日時を決定
- ご希望の日程とお時間、参加人数をお知らせください。材料の手配がございますので、体験ご希望日より1週間以上前にお申し込みください。
- 制作体験実施
- 制作には指導員が手順をご案内しながら一緒に制作いたしますので、初心者の方でも問題ございません。制作された御幣はそのままお持ち帰りいただきます。
上宮(鳴瀧神社)
上宮(鳴瀧神社)は少し離れた山の中にあります。道幅がとても狭く急勾配な山道を抜けると上宮に着きます。上宮には鳴瀧神社の名の通り滝があり、絶えず水が流れ落ちています。冬の寒い朝、数年に一度滝の水が凍りつき、大きなつららとなった時の光景は圧巻です。
※上宮への参拝をご希望の場合、事前にご連絡いただけましたら送迎車をご用意いたしておりますので、事前にお知らせくださいませ。自家用車等にて参拝される場合、舗装等の事情により四輪駆動車等のご準備が必要です。
ご都合に差し支えがなければ是非ご覧になってください。
熊野鳴瀧神社
- 所在地:
- 〒882-1414
宮崎県西臼杵郡高千穂町
大字河内32-2